ゴッホ

私の好きな画家たち―その9

しばらく間が空いたけど、今日の画家はゴッホ。
色々な美術館でゴッホの回顧展を見たけど、オルセー美術館やオランダのゴッホ美術館で見た作品はやはり画家の生きていた土地だからか、一入感慨深いものがある。以下は以前書いた文章。

最も好きな画家の1人。3番目の絵はその中でもとりわけ好きな1枚。この絵の前では釘付けになる、鳥肌が立つようだ。画面から伝わる途方も無いエネルギーと色彩のオーケストラの素晴らしさ、全てのタッチと色が強固な意志のもとに結び合わされ、光はどこからも漏れず、画面の底から輝いているように見える。
わずか10年の画業を、一生を生きるような勢いで生きたゴッホだが、その絵の変遷の速さは驚くほかはない。1枚目の絵は1885年、まだオランダにいる時に描いたもの、2枚目がその2年後、パリに出て印象派の描法を勉強していた時、そして3枚目は1890年で、自殺した年の制作になる。殊に晩年の2年間は次々と素晴らしい作品を残している。ゴッホ自身も、- 段々と筆致が確かなものとなっている、と弟のテオに手紙で書いている。
決して画溶液でぼやかしたりせず、粘性のある絵具をリズムを伴った力強いタッチで対象を描き上げていくのがゴッホの絵における言葉だが、これは後の画家に大きな影響を与えた。
自分が絵を描く時、ある拡がりをもってしか色を置けないような感覚があり、ゴッホのようなタッチの集積で絵を描いていくと、すぐに行き詰まり、そうした描き方は不可能なことのようにも思えるのだが、ゴッホにおいては全くそうなっていないことに彼の絵を見る度に考えさせられる。彼の細部を伴った色、絵具の扱い方は自分にとって一つの試金石となっている。
高い知性を備えながら、それによって骨抜きにされていない深い感情、自分の人生に半ば絶望しながらも本当の意味での理想主義者、清のみを善しとして濁を忌むようなことはせず、画家である前にまず良き人間たろうとした宗教的心情、それら全てが彼の絵の素晴らしさに加えて彼をして芸術の道における良き導き手としている。
ゴッホの絵と人生を考える時、高みからある存在が彼に舞い降りて、彼はその使命を果たしたのだ、という気がする。