ブリューゲル

私の好きな画家たち―その13

本の中の印刷された写真を見てもその絵が持つ真価は伝わってこないのはどの画家も同じだけど、ブリューゲルの絵は特にそう感じる。今後もし日本で見る機会があればぜひ見に行ってください。
で、以下は以前著した文章。

ブリューゲルに初めて魅せられたのは、1枚目のN.Yのメトロポリタン美術館にあるこの畑の収穫の絵だった。この絵の前では多くの時間を過ごした。その度に自問自答したものだ。これだけ綿密に描きながら ( 葉っぱの1枚1枚さえ!)、色彩は完全に調和されて輝くばかり、どうして我々の時代はこうはいかないのか、400年以上も前に描かれていながら、ベネチア派などと違って、何故古い絵と感じないのか、如何にも不可能なことをブリューゲルは易々と実現しているように感じた。それがルーベンスやティチアーノならば納得する、それは時代なのだ、今はこう描けないし、描きたいとも思わない、と。しかしブリューゲルとなると昔のことで済まされない悩ましさを感じる。何故であろうか。色彩の明朗さであろうか。それとも自分を取り巻く世界に対する愛情だろうか。
ベネチア派などは画布に何層も何層も透明に絵具を重ねることによって、微妙な灰色調子、深みある色彩を作った。それは確かに重厚で荘重な響きであるが現代にはそぐわない。油は確かに油絵の本質であるが、今では何故か油分の多い絵は古いと感じる。セザンヌもモネも、どちらかと言うと涼しげな油絵を描いた。そういう意味で更に時代を遡ったテンペラ画(油絵の前身で、卵黄を使って描いた絵)の方がずっとモダンな感じがする。ブリューゲルは画布より板を好んで用いたが、そのため色彩は軽やか、輪郭も極めて明快で我々の時代に相通じるものを感じる。勿論それは表層的な考えで、それを生み出した本人の中にこそその謎があるのだろうが。
因みに2枚目はルーブル美術館にあったのだが、不幸にも天井に近い高い所に掛けられていて照明の加減も悪く、ろくに見えもしなかった。その下には、凡庸な絵が掛けられているというのに。いつになったら役人はしかるべき所に、しかるべき作品を並べてくれるのか、とセザンヌが嘆いていたが、事情は今も大して変わっていないようだ。