モネ

私の好きな画家たち―その10

セザンヌやゴッホの良さが分かる前は、モネに傾倒していた。ニューヨークにいる時、モネの厚い画集を古本屋で買ってきて飽かずに眺めていた記憶がある。目に見えるものを描くモネの色使いの確かさは実に素晴らしい。以下は以前書いた随想。

1枚目は30才の時の作で、この頃はまだ筆使いも大まかで、全体を大きな色の色調で置いていっている。こういう何気ない風景においても、モネの色を的確に判断する目の非凡さを十分に見て取れる。普通なら何色とも判別できないあらゆる中間色を、まるで色の絶対音感をもっているかのように正確にパレットに作り出し、消すことも無く次々と確かなタッチで重ねていっているような感じだ。実物を前にすると、その様々な中間色は、音楽的ともいえる程ぴたっと全体の中に調和していて実に美しく、感心せずにはいられない。
その後次第にタッチが細かくなり、点描的な絵になっていく。色は非常にデリケートな調子に分けられ、微細な色の集積が1枚の絵となっている。普通、細かくなればなる程、全体性が損なわれやすくなるのだが、そういう不安定なところはなく、1枚の絨毯のように穏やかな色彩の連続体となっている。
2枚目は80才も過ぎてからの絵であり、タッチは再び大きくなるが、もはや対象物の形は色の氾濫で溶解している。
ボナール、セザンヌ、モネの3人の画家の絵の発展を比較するのは興味深い。若い時はそれぞれ自分の気質に従って具象的な絵を描いているが、晩年に近づくにつれ形が色に道を明け渡すようになり、その違いが歴然としてくる。セザンヌは3者の中で最も絵に堅牢さ、古典的秩序を求め、タッチにそれが反映している。ボナールは、1つ1つのタッチは自由でも全体としてみれば1つのゆるぎない有機体をなしている。モネの絵にはそれが一番希薄なように思われる。悪く言えば、色彩の中に道を迷ったような印象さえ受ける。
セザンヌは生前、モネの画家としての目を同時代の誰よりも高く評価していたが、同時に彼は目に過ぎない、というようなことを言っている。モネの絵は確かに素晴らしいが、セザンヌの絵と並べてみると彼の言わんとしていることが分かるような気がする。モネの絵はたとえ抽象的になっても、その色は感覚的な所にとどまっているのに対し、セザンヌは水差しを描いてもそれは物を突き抜けた存在の相を呈している。