色々な理由から遠ざかっていた油絵を少し前から時々描いています。
そこでちょっと油絵についての無駄話・・・
油絵と言えば、セザンヌがー油絵は美しい、と言った言葉を思い出す。油絵の持つマチエールの美しさは水彩画にはないもので、思わず目を惹きつけるものがある。
簡単に言えば水彩が顔料を水で溶くのに対し、油絵はそれを油で混ぜ合わせたもので、その美しさはひとえに油の持つ特性と言える。原理は簡単だけど実際の油絵の具やその溶剤となると話は別で、それはちょうどパンのようなものだと思う。パンも基本的に小麦粉と水があれば出来るシンプルなものだけど、その製法となると何千年もの歴史の中で無数の作り方がある。油彩画もしかりでその製法や描画の仕方に関してはたくさんの専門書があり、その内容は複雑怪奇と言ってもいいぐらい。
確かにそういう研究や知識は面白いけど(私もン十年前にはまった)、それは必ずしも絵とは関係ないことで、画法が必然性もなく独り歩きしていることが多いように思う。反面今の時代では画材屋で大量生産の既製品を買って知識もないままに描いているので油絵の素材の持つ美しさは昔に比べて貧弱になっているのは否めない。
話がつい横道にそれました。
セザンヌに話を戻すと、彼の晩年のマチエールは半透明のエナメルのような輝きを持つものでしたが、彼がたっぷりと絵の具を置きたい、という様なことを言ったと何かの本で読んで、そうだろうな~と思ったものです。
セザンヌにあっては物.即ち色は常に振動しているので色で何かを固定させるようにしっかりと絵の具を置くことは出来なかったでしょうし、何かがはっきり色付けられるとそれによって周りが影響され引いてはそれがまた元の色に戻ってきて塗り直さなければならなくなるという悪(?)循環に陥ってしまいます。
で、こんな話の後で自分の絵の話をするのは気が進まないけど少し描画の過程を書くと・・・油絵らしい堅牢なマチエールの絵にしたいと、描き出しは割と絵の具を置いていたのが段々と違和感が出てきてどうしようもなくなり、ついには全部消して全体をひとつに素早く繋げる必要に駆られて木炭で素描、それをフィキサチーフで固定するという前時代的(?)なやり方になりました。
絵の具を使っても素早い素描は勿論出来るのですが、木炭のようなシャープさはなく、おまけに後で置く絵の具と同化して素描による一体感も見失われがちになります。
木炭を使うのは不本意とは言え、結果的に絵の具を厚く置いた時よりも感覚的にモチーフに近くなったのでこれはこれで良しとします。もしまた新たな画布で描けば違う表現になるでしょうが、この絵はもう筆を入れるモチベーションがなくなったのでこれで終わり。
ま、こういう話は絵の蛇足だけど、何かの参考にならないとも限らないので書いてみました。
あとで書いた下記のブログもぜひ見て下さい。
油絵具の流動性について