私の好きな画家たち―その11
前の投稿から大分日がたってしまいました。
中にはこれを読んでくれる方もいるので、もう少し早く投稿するつもりでしたが・・・。
今日は画家の中でも別格のセザンヌ。
以下は以前書いた文章。
‘セザンヌ’特別の響きを持った名、荘厳なミサを聴くようだ。近代絵画の父、画家の精神的拠り所、そう言われる何かが彼の絵の中にある。セザンヌの絵の難解さは何であろうか。例えばここに創造主と同じように何かを、例えばリンゴを無から作る途方もない能力を持っている人がいたとする。その出来が余りに完璧で本物と瓜二つなので人々は却ってその偉大さが分からない、セザンヌの完成された静物画や人物画を見ていてそんな気持ちになる。また彼の絵はゴッホなどと違い、感情が表に現れず一見人間味に欠けるようにも思われがちだが、彼は言っている、- 感情は門のようなもので一度くぐればいい、自分の感情を客観化する厚かましさを持たねばならない、と。
真の意味の再創造、普通なら正確な色調で細部を描けば描くほど再現的表現に堕ちた印象を与えるものだが、セザンヌの場合、細部に至るまで血が通っている。それには100歩目を99歩目から歩くのではなく、またスタート地点に戻って1歩の為に100歩を歩くような労苦が感じられる。
人生半ばに存在の神秘が彼を捉えた、その後死ぬまでその探求と表現に人生を捧げることになるが、人生も終わりに近づいて、- 右からも左からも、前からも後ろからもやってみたが無駄たった、自分の感覚を実現できない、宝の持ち腐れだ、と嘆いている。感覚の源泉までも潜り込み、それを絵にしようとした艱難の連続の一生だった。彼は、- 私達は意識しようが、しまいが、皆ドラクロワの許で絵を描いている、と言ったが、彼亡き後は、彼自身がドラクロワに取って代わった。セザンヌの仕事は後に続く者にとって良心の砦であり、守護神となっている。