ドラクロワ

私の好きな画家たち―その12

ドラクロワはダンディな画家で、まさにライオンのような風格の持ち主だった(ようだ)。
内面に深い孤独を抱えるような魂の持ち主でそれが絵からにじみ出ている。
で、以下は以前著した文章。

1枚目の‘サルダナパールの死’と題されるこの絵はルーブルにあり、セザンヌが生涯賞賛して止まなかった1枚。これが発表された当時は、サロン絵画(様式ばかりで退屈な絵)が幅をきかせ、ドラクロワの絵は、主題やその描法の大胆さ故に、絵画の虐殺だと非難の嵐にあった。そうした中で、ボードレールはいち早く彼の天才を認めて積極的に擁護している。何が描かれているか(主題)が重要なのではない、問題はそれがどの様に描かれているかで、何が描かれているのか判別できない位遠くから彼の絵を見ると、いかにその色彩が比類なく素晴らしいか分かるだろう、と。
これは、4m×5mの大作で、実際、この前ではその大きな画面から伝わる色彩の深みに圧倒される。こういう絵を前にすると率直に自分たちの、或いは時代の卑小さを感じずにはいられない。しかしセザンヌの時代でさえ既にそう感じて、彼は、- 私達は部品を作っている、もう全体を構成する術を知らない、と嘆いている。勿論それは絵の、人間の、精神の発展の必然性であり、個人の能力の問題ではないだろう。ドラクロワはこの大作を28歳で描いているが、その後作品の規模は小さくなり、次の時代の印象派へと続く礎を築いた(2枚目の海の絵がそのひとつの例―54才の時の作品)。今まで平滑に塗られていた色彩の分割化、違う色彩を並置することから得られる色彩の高揚、こうした探求が印象派により引き継がれ、更に発展させられることになる。それまでは画面に何十人も登場させて世界の悲劇やら神話を描いた想像力や画面全体を構成する力は、今や言わば1個のリンゴの中に入ってきた。大宇宙がそこに縮約されていることに気づき、その描写に没頭した。
ドラクロワが端緒を開いた仕事は、今までの言語に取って代わる新しい言語を確立することであり、従って印象派の絵が仮に以前の絵と較べて見劣りがして、稚拙に見えたとしてもそれは当たり前だと言える。
頭の中でそうと分かっていながらも、この絵を前にすると改めて失われた世界の偉大さについて考えない訳にはいかない。そしてドラクロワ以後、印象派、表現主義、抽象芸術と随分遠くまで道を進んで来たように思えるが、結局気がつけば又ここに戻って来なければならないような気持ちにさせられる。