エミールノルデ(Emile Nolde)

私の好きな画家たちーその3

シリーズの続きで、今日はエミール・ノルデ。
どうしてこういう風に描けるのだろうと、一時は何枚も模写までもしたものだ。で、当たり前だけどこれは彼の絵であって自分とは違うので真似は出来ても似て非なるもので、結局は誰もが自分の道を行くしかないという事に嫌でも気づく。

ノルデは水彩画において特別の位置を占めている。まず何よりもその色彩自身の働きから現出したような世界とその輝きは他の画家に取って代われない。水彩でありながら画面は織物のように緊密で揺るぎが無い、そこでは色彩は飽和に達している。
彼の色彩への追及が和紙との邂逅に導いたのか、ある偶然のきっかけでそれを使い始めたのかその辺の消息は知らないが、和紙はノルデにとってかけがえのない協働者となっている。
和紙は一般の水彩紙よりも素材自体の美しさがある。均一的でないことから来る遊び、揺らぎなどが、ひと塗りの色にも微妙なニュアンスを与え、奥行きを生み出す。直接手を下して得ようとしても決して得られない色彩だ。コントロールの難しい、偶然の成す技も多い素材だが、彼は恐らく長年の制作の中でその辺の機微を会得したのだろう。実に見事な色と形の世界となっている。
一方で考えることには、もし素材が過度に自然美に負う所多くなると、絵の美の要素の中に染めや焼き物の美が混入してきて、絵の本質的な部分は損なわれるのではないかと。絵においては描く人が対象に積極的に働きかけて、そこから自然のままではない産物、ゲーテの言葉を借りるならば、‘より高次の自然’を現出させなければならない。そこでは素材である紙やキャンバス、絵具などは手段として表現に仕えるべきもので、いかに道具が表現にとって大事であろうと、必要以上にその効果を求めると本末転倒になりかねない。
最近の絵には、作家の対象への関与が少なく、自然のものに少し手を加えただけの効果を作品とする安易な絵や、或いはやたら素材や効果に凝った物質的な絵が多いように思う。とは言うものの、長い目で見ればそれも一度は通る道かもしれないが。