木村忠太

私の好きな画家たち―その4

木村忠太は若い時にフランスに渡って、終生そこで暮らした。
彼も他の偉大な画家同様(?)、かなり変わっていて何十年もフランスに暮らしながらフランス語は一言も話さなかったとか・・・。以下は以前書いた文。

初めて彼の絵を見た時その色彩にとても魅了され、嬉しくなったものだ。伝統をきちんと踏襲した上で歩を更に先に進めた絵、という感じがした。ボナールの後を継いで‘新たな印象主義’つまり視覚ではなく、心の印象主義を標榜している。
印象派初期は外光が自然や事物に与える効果を画布に定着させる事に腐心した。その後、一時的な色の効果に飽き足らなくなった画家たちは、対象の中に永続するものを求めて、より一層自覚的に内面の印象を画布に刻印した。そして木村忠太においては視覚的描写はすっかり奥へ退き、殆ど何を描いたのか分からないような抽象画となる。しかし実際はいつもある現場に基づいているようで、そのせいか、抽象画にありがちな物足りなさは無く、何かより確かなものを感じさせる。現場ではクロッキーなど(これも抽象的だが)をして、後は自分の内なる感覚を頼りに絵を形成していく。 何度も大幅に、時には全部消したり、描き加えたりの積み重ねで(これはピカソの制作にヒントを得たようだが)途中なのか終わったのか分からない様な絵が出来上がる。こうした途中の過程が結果的に多層的な構造を生み、絵、ひとつのイメージを作り上げている。対象物を視覚的に描くのではないので、ある目標を持って完成させていくというわけにはいかず、制作を通じて作者に想起したビジョンの軌跡とその堆積が絵となる。ある地点を目指す旅ではなく、道程そのものが即ち旅という旅だ。
ある評論家が彼の仕事を評して言う事には、彼は問題を解決したのか、或いは提起したのか、と。おそらくどの偉大な芸術家もそうであるように、後に続く者に一つの道を開いたのではないかと思う。