ヘンリーミラー(Henry Miller)

私の好きな画家たちーその2

ヘンリー・ミラーの絵を知ったのは、確か本屋で偶然見た彼の画集で、それは誰が描いたのかを知らないで純粋に絵に魅かれた。後にそれがあの高名な文学者なるものと知ったのは新鮮な驚きだった。以下は以前に著した彼への私なりの(下手な)オマージュ。

ヘンリー・ミラーの絵には自由を志向した者の明るさがある。えてして本職の絵描きが忘れた初心の新鮮さ、描く喜びに溢れている。技術(尤も彼はその習得を諦めたそうだが)で中身の空虚をカモフラージュしない誠実さ、結果を気にしないで常に色々と試してみる精神、そうしたものが見る者に一服の清涼剤のように働く。
殆ど塗られていなかったり、一見関係の無いものが無秩序に詰め込まれていてはっきりと定められていない空間は、現実の空間以上に広がりを感じ、魅力的である。色彩も一見出たらめのようでいて、彼の友人である画家が‘素人’の彼に、-僕もこう描きたいんだが、描けない、と嘆いたように、簡単そうで実際やろうとすると中々こうはいかない。特に‘正門’から絵の道に入った者には。勿論努力して色々なことを習得しなければいけない。しかしそれだけでは下手をすれば、やればやるだけ自分の首を締めかねない。解毒剤が必要だ。
彼の仕事は、セザンヌやゴッホのような求道者的な仕事とは、タイプを異にする。言ってみれば、絵の回春剤だ。重苦しくなって、淀んできた世界に新しい息吹をもたらす。視野が狭くなり、他の世界と遊離しだした専門化された世界は、それを再び健全な土俵へ連れ戻さなければならない。そしてそこからまた前進する刺激と活力を受け取る。
ある人は深く掘ることに長けていて、別のある人は間口を広げることにその才能を発揮する。結局、人それぞれ果たす役目があるのだから、やりたいようにやるしかない、下手は下手なりに、だ。北極と南極に同時に居ることは出来ないのだ。お互い違うものを持ち寄ってより豊かになればいいのだと思う。大きな観点から考えると、それも結局目には隠された同じ世界の、違う角度からのアプローチであり、ある地点でいかにセザンヌとヘンリー・ミラーが水と油のように見えようと、世界の形成にはお互いを必要としているという事だろう。