無彩色的な絵

漁港の水彩画

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よく描きに行く漁港での水彩画。
特に色彩を限って描こうとした訳ではないけど、描く日の天気により余り色がないのが却って描く気をそそられるということもよくあり(個人的に私は今にも降りそうな暗い空に魅力を感じる)、無彩色的な絵になったもの。
それでも色彩的な絵を描きたい気持ちが始めからあったら違う絵になっていたでしょうが、色彩の調和に苦労する絵に疲れているときなどは白黒で描きたい気にもなる。

絵の一体感は使う手段が少なければ少ないほど容易に短時間で得られるので、デッサンや無彩色的な絵は色彩的な絵の通奏低音のようなものだと思う。だからたまにこういう絵を描くのは風通しが良く、自由な感じがする。勿論白黒の絵ばかり描いていると今度は色彩が恋しくなるけど。

結局はこれも人間に内在するバランスだと思う、美味しいものばかり食べていると、粗食が恋しくなるし(私の場合ではないけど)、いくらナッツが好きでも流石にそればかりでは飽きてくる。
絵の場合も風景ばかり描いていると、もっと環境に左右されないでじっくりと時間をかけて絵を追求したいなと静物画を描き、家で静物画ばかり描いていると何か行き詰まってしまい、外の新鮮な空気に助けられて勢い良く描いたいなと思う。
こうしてぐるぐると回りながら少しずつ掘り下げられて、それがそのうち色んなことを巻き込んで結局すべては関係しているのだなと、おぼろげながら分かってくる。で、そう気づくころにはもう残り時間が少ない・・・でもこれで終わりではなく、生は永遠に続くらしいのでそんな心配はないようです。